、ちゃんと俺の目を見ろ。」

最後の言葉だった、でも、目は見れなかったから、顔は、思い出せないんだ。
目をぎゅっ、と瞑って私はそこから逃げ出したんだ、でも、彼はもう、言葉をかけてはくれなかった。

今だからわかる、私は、大切にされていたんだ、って、ちゃんと、愛されてた、って。





私はずるいから、比呂士に逃げたんだ。
優しくて、紳士で、私を真っ向から否定したりしない、わかりやすい優しさに逃げたんだ。
比呂士は優しく私の左手を包み込んで、ふわ、っと笑って足を進める。
もちろん、比呂士が車道側で、エスカレーターも必ず低い方に比呂士が立って。
ファミレスに入ればメニューを広げて渡してくれて、私が帰る時は玄関の扉が閉まるまで見ていてくれて。
おはようのメールも、おやすみのメールも欠かさなくて。
一つも悪い所が出て来ないよ、だからこそ、ずるい自分を思って、心がチクンと痛むんだ。


今日も比呂士と他愛もない話をして、さよならのキスをして、私は玄関の扉を閉める。
ソファーにぽすん、と腰掛けると、正面に見える、黄色い球体、思い出のボール。
それは三つ並んでいて、「XT8」の文字が見えるようにディスプレイしていて。
「自分を戒めるため」なんて言い訳してるけど、比呂士がこれを見て良い気分な訳が無い。
「ごめんなさい」って心で何度も呟く、それが、どっちに向かってるかは、自分でもわかんないんだ。





あの日私はもう耐えきれなくなったんだ。
はっきりしない関係にも、「たるんでる」だとか「たわけが」だとかの厳しい言葉にも。
彼はいつでも私を傍に置きたがった、私はそれが嬉しかった。
でも、甘い言葉をかけてくれる事はなかったし、優しく手を包んでくれる事もなかった。
もちろん、この関係をはっきりさせる事なんて、なかったんだ。
だから、もうやめるって、もう一緒に居るのはやめるって言った。
彼は案の定低く落ち着いた声で私を追いつめた、私が言葉に詰まる事ばかり問いかけた。
感情的になって、私はたった一言、「もう、嫌だ。」って、大きな声を出して、初めて、弦一郎の前で泣いた。
彼が戸惑っていたのはわかった、でも、そう簡単に涙は止まらなくって。
私が泣きながらも少し呼吸が整った頃、弦一郎は私の両肩に手を乗せて、やっぱり低く落ち着いた声で、言った。

、ちゃんと俺の目を見ろ。」





大切な、思い出の試合のボールを、私なんかにくれた理由が、あの頃はわからなかったんだ。
なんで厳しい言葉ばっかりかけてたのかも、なんで簡単に手を握ったりしなかったかも。
もうあの頃には戻れないし、今は誰よりも比呂士が大切だけれど、弦一郎を忘れる事なんて出来ないよ。

それはあの日逃げた私への、永遠に続く罰だって、背負って行く罰だって、わかってるから。





「比呂士、どうしたら、そういう風に優しくなれるの?」

なんて、笑って言っちゃうんだ、馬鹿な私が、このどうしようもない人生を、どうにかしたくって、さ。
頬をつたう涙なんて、ただの水なんだから、意味なんて、ないんだから。



あの頃に戻れない

(…いいんですよ、存分に泣いて下さい)
(私はいつまででも、の心を、待っていますから)






special thx to
企画/眼鏡に恋しちゃえ。 様
and you.