窓の外には三日月、静まり返った廊下、林檎の甘い匂い。
唯一付いている灯りと一層強くなる甘い匂いに、私は二回ノックを。
「柳生くん、今日も見回り?」
「ええ、風紀委員の見回り当番ですので。」
「そう、お疲れさま。」
下校時刻を過ぎているというのに、彼女は帰る気配を一向に見せない。
私はそれを分かっていて、今日も此の甘い匂いに引き寄せられる。
「今日も、アップルパイ失敗したのですか?」
「今日も、とは失礼ね。まぁ、失敗したんだけど。」
真っ黒になっているパイ皿、申し訳無さそうに指差して肩を落とす彼女。
「これじゃ、伯母さんに合わせる顔が無いわ。せっかく送って頂いたのに。」
片付けを済ませている彼女、私はその横で手を洗い、焦げたアップルパイにフォークを刺す。
「柳生くん、お腹壊しちゃうよ。」
彼女は私から焦げたアップルパイを取り上げ、手際よく片付ける。
仕方ないので行き場を失ったフォークを洗い、籠の林檎から色良い林檎を手に取り、ハンカチで磨く。
「こんなに見た目が良いのに、此れも酸っぱい林檎なのですか?」
「そう、糖度計で基準に満たない林檎。」
「一度でいいですから、成功したアップルパイを見てみたいものですね。」
「うん、私もそう思う。」
彼女は悪戯に微笑み、エプロンを外す。
私は磨いた林檎をナイフで剥いていく、彼女は驚いたように声をかける。
「酸っぱい林檎って分かってて食べなくても。」
不思議そうな顔をする彼女、私は尚も林檎を剥き続ける。
見た目では酸っぱいか甘いかなど、私には分かる訳も無いからこそ。
「どれ程酸っぱいか、試してみたいのですよ。」
「そっか。柳生くん、変わってるね。」
林檎を剥く私の隣りにちょこんと座り、私の手元を見つめている彼女。
食べやすいサイズに切り分けた林檎を皿に乗せ、フォークを刺し、彼女の口元に運ぶ。
「え、私は食べないよ。柳生くん食べて。」
「どれ位酸っぱいか、試してみませんか。」
挑発的に告げると、彼女は困った顔をして、「じゃぁ、一口だけ」と答えた。
私は林檎の刺さったフォークを皿に戻し、彼女の頬に掌を当て深く口づけた。
何の為に見回りの最後、調理室に来ていたのか彼女に思い知って欲しかった。
積み重ねた想いを口づけに乗せる、深く深く、優しく優しく。
角度を変えてまた口づけようと少し彼女と離れ、私は問う。
「私は、酸っぱい林檎でしたか?」
きっと彼女は困った顔をするのだろう、それとも怒るだろうか、彼女の許可も無く口づけた事を。
それでも私は構わなかった、何故ならば彼女の困った顔が一番愛おしいからだ。
「…あまい。」
艶めいた声が響くと、彼女の温かな掌が私の頬に触れた。
堪らずにまた口づける、深く、軽く、何度も何度も、水に飢えた魚のように、繰り返す。
一瞬の隙をついて彼女が私と離れ、立ち上がり窓の方へ歩く。
窓の外では相変わらず三日月が美しく浮かび、彼女が月を照らしているのではと錯覚させた。
「アップルパイ、明日は成功するかなぁ。」
月に祈るように呟く彼女、私はただ彼女の背中を見つめる。
どう返事すべきか惑っていると、彼女はゆっくりと振り返った。
「柳生くん、月がとっても綺麗だよ。」
無邪気な笑顔で私を見据え、事もあろうか「月が綺麗」などと告げる。
困った顔など見せてはくれなかった。
それどころか、一番愛おしい筈の困った顔より一層愛おしい、初めて見る無垢な笑顔。
「そんな笑顔を見せるだなんて、反則です。」
「じゃぁ、私の反則負け?」
「反則で勝っても、嬉しく無い筈なのですが…不思議ですね。」
林檎の甘い匂いにとても似合う、無垢で悪戯な笑顔。
「さん、月が綺麗ですね。」
その笑顔は反則だから
(その昔、夏目漱石は"I love you"を"月が綺麗ですね"と訳したように)
(切った林檎塩水に浸けておきますよ、アップルパイ、明日一緒に作りましょう)
(柳生くんが一緒なら成功する気がしてなんか複雑・・・)
special thx to
企画/ハニィ 様
and you.