「ヒロシさん、ああ、ヒロシさん、生きていてくれたんだね…!」
そう声を絞り出すと、小さく丸まって、比呂士の手を取って、涙を流した。
私はそんな二人を見て、ただ呆然と立ち尽くした、だってそうでしょう?
私のボケきったおばあちゃんが、比呂士の名前を呼んで、泣いてるんだもん。
比呂士は困惑した表情ながらも、落ち着いてたし、それでも優しくて、
私の祖母の肩を落ち着くまでさすって、優しい言葉をかけてた。
窓の外は眩しいぐらいのピンク色で、すぐ散る運命を嘆くかのように、桜が咲き誇っていた。
風が散歩する度に揺れて、小さな花びらがひらひらと落ちて、綺麗なんて物じゃなかった。
その窓の手前では、相変わらずの二人が泣いたり慰めたりしていて。
ねぇおばあちゃん、一応、その人、私の彼氏なんだ…。
ぐすぐすと泣き疲れてしまったおばあちゃんが横になると、あっという間に寝息を立てた。
比呂士はその手を握って、優しい顔をしておばあちゃんを見てた。
嫉妬、なのかな、いい気分じゃない、でも、比呂士のこういう優しい所は、やっぱり大好き。
私は押し入れの襖を開けてタオルケットを出すと、おばあちゃんにそっとかけた。
比呂士はやっぱり優しい顔をして私を見て、お礼を言う、いや、お礼を言うのは私の方なのに。
私の部屋に移動して、へなへなとベッドに座り込むと、比呂士が優しく肩を抱いてくれた。
比呂士は男の子の匂いがして、指は細いのにごつごつしてて、胸に顔を埋めるとほっとした。
何日か後、久々に行ったピクニック。
桜の花びらがひらひらと舞って、私の左手を温める人の髪にひらり、と落ちた。
私を見てにっこり微笑んで、桜が綺麗だねぇ、おねえさん、って言う。
「そうだね、…とっても、綺麗だね。」
おばあちゃん、と最後に言いかけてやめる、そう、祖母はもう始まっているんだ。
言葉に出すのも辛い、記憶を失って行く、ひとつの病と。
水筒から緑茶を注ぐと、おばあちゃんはにっこり微笑んで桜の花びらをお茶に浮かべた。
きれいだね、これをヒロシさんに見せたら、ヒロシさん何て言うんだろうね。
あまりにニコニコと言うもんだから、色んな感情が錯綜した挙げ句、私はまた比呂士を連れて来ようと思った。
次のピクニックへは、比呂士も連れて来た。
おばあちゃんははにかみながら比呂士の隣りに座って、顔を真っ赤にして、お行儀良く座って。
おにぎりを食べる口も少ししか開けなくて、恋する女子そのものって感じで、かわいかった。
少し葉っぱが混じってしまった桜の木を見上げて、ヒロシさんヒロシさんと嬉しそうに繰り返した。
私は少し離れて二人を見守った、最初に抱いた醜い感情はもうどこにもなくて、
今は、今だけはおばあちゃんに笑ってて欲しいな、なんて自己満足にも近い事を思ってた。
私たちにその次のピクニックはやって来なかった。
学校から帰る電車の中で、おばあちゃんの急変を知らせる電話が鳴っていた。
一緒に帰っていた比呂士も当たり前のように付いて来て、神妙な面持ちでうちの玄関を跨いだ。
おばあちゃんの部屋の襖を開けると、世界の色が一色になってたんだ、何故か、どうしてかはわからない。
みんなの声が途切れ途切れで、ノイズのような音すら聴こえた。
全てがスローモーション、というより、コマ送りのようで、私だけが世界から取り残されたみたいに遅かった。
横になるおばあちゃんが、大きく瞳を開くのが、ゆっくりと見えた。
その皺々の手は比呂士の手へと伸びていて、比呂士の手もそれに応えるように伸びて行った。
あ、それはだめ。
頭の中で警笛が鳴り響いた、比呂士があっち側に連れて行かれるような、そんな気がした。
セピア色に染まり切ったこの世界で、ノイズだらけのこの世界で、私は小さく声に出した、「だめ。」
その声はどこにも届かなかった、比呂士はおばあちゃんの手を握ったし、おばあちゃんは満足すぎる表情を浮かべて私を見た。
深く目を瞑って目を開くと、満開の桜と、その桜の下のベンチに座る二人と、ふわふわと浮かぶ私が居た。
おばあちゃんは60年ほど時間を巻き戻せたのだろう、セーラー服に身を包んで、おさげも可愛くて。
比呂士は何故か学ランで、あぁ、比呂士、意外と学ラン似合うなぁ、なんて思った、上から、思った。
ヒロシさんヒロシさん、と嬉しそうに呼ぶ可愛い声も、
何故かおばあちゃんのファーストネームを呼ぶ比呂士の声も、
エコーして私の頭に響いて嫌だこんなの壊れちゃえばいいって思ったら、ハウリングしてパァン!と弾けた。
場面が変わってモノクロの世界、おばあちゃんは比呂士の学ラン姿の写真を握りしめて葉桜の下で泣いていた。
ああ、わかった、私は桜の木になったんだ、おばあちゃんの思い出の、桜の木に。
ヒロシさんヒロシさん、と悲しそうに泣き叫んでいた。
おばあちゃんの初恋の人のヒロシさんは、比呂士だったんだね、おばあちゃん、私、同じ人を好きになっちゃったんだね。
桜の木、つまり私自身がゆらゆらと揺れた、胸の奥がざわざわと気持ち悪くて、吐き出しそうだった。
もう無理、吐き出してしまう、そう思った瞬間、満開の桜の花びらが、おばあちゃんに降り注がれた。
おばあちゃんは私を見上げて、ありがとう、、ありがとう、そう繰り返してまた泣いた。
つられて私も泣いた、泣いた桜の木からは、涙の代わりに花びらが散った、それはひらひらと美しく見えた。
次に目を開けると私は布団の中に居た、おばあちゃんの部屋、おばあちゃんの布団の中だった。
比呂士は私の手を握って、優しく声を出した。
「もう大丈夫ですよ、山は越えたそうですから。」
あれ?山?そう思った比呂士の後ろには私が居た。
嬉しそうに口角を上げて、立ち上がって私を見下ろして、また、改めて微笑んだ。
「、ありがとう。」
口元がそう動いたように見えて、ハッとした、あぁ、そういう事か、何故か納得してしまった。
比呂士の握る、私の皺々な手には上手く力が入らなくて、私は全てが終わったんだと絶望した。
愛愁、哀愁
special thx to
企画/366日目の軌跡 様
and you.